【書籍】迷宮の花街 渋谷円山町

【書籍】迷宮の花街 渋谷円山町maruyama_book

路地と坂、石段――
ラブホテル街に残る昭和の面影

・明治から続く花街は混沌としたエリアに
・渋谷の異空間に集まる男と女

花街の風情をいまも伝える路地、黒塀、石段―。
時代の最先端・渋谷駅周辺にあって、円山町に生きる人々は昭和の混沌と再開発の狭間に生きている。かつて400人以上いた芸者は現在、わずか4人。いまでは都内有数のラブホテル街となり、素性を知られたくない男女の密会場所となっている。この渋谷の異空間はいかにして生まれ、今に至るのか。そしてどこへ向かうのか。その歴史と地理的背景、男女の肉声を採録。さらに18年前、円山町のラブホテル街を舞台にエリートOLが殺害され世間を震撼させた「東電OL殺人事件」の真相に迫った。『東京最後の異界 鶯谷』に続く、東京の異界シリーズ・ノンフィクション第2弾!

本橋信宏氏による“東京の異界”シリーズ第2弾
『迷宮の花街 渋谷円山町』が発売されました。

円山町の歴史や、現在と過去の暗部も含めて、
円山を知るために必須の一冊。
円山町の芸者、小糸さん、喜利家鈴子さんへの取材ページもあり、
ますますおもしろい地域だと感じます。
ぜひ読んで、円山にも遊びに来てくださいね。

宝島【書籍】迷宮の花街 渋谷円山町
白いコートの女〜『迷宮の花街 渋谷円山町』

渋谷円山の芸能と落語会・開催されました。

10月20日(土曜日)
渋谷円山町会主催の『渋谷円山の芸能と落語会』が開催されました。

会場(三長さん)は大入り・大盛況。
初めての試みでしたが、来ていただいたお客様方には、
「とてもよい会でした」と、ご満足いただけたご様子。

それもこれもご無理をお願いし、ご出演いただいた、
入船亭扇遊師匠、
入船亭遊一さん、
小糸姐さん、
鈴子姐さん
の藝によるところはいうまでもありませんが、
おたまさんを始め、町会員スタッフの皆さんのご協力により、
無事事故もなく終えることができました。

ありがとうございました。

「平成24年度東京都地域の底力再生事業助成」対象事業

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渋谷円山の芸能と落語会(2012年)

渋谷円山の芸能と落語会

(2012年)

円山町の花街芸能(踊り・唄・三味線)
また落語も楽しんでいただき、
町内の親睦を深めるとともに、

渋谷円山町の側面を町内外へも
知っていただきたいと、
『渋谷円山の芸能と落語会』が
開催されました。

渋谷円山の芸能と落語会

(2012年)

円山町の花街芸能(踊り・唄・三味線)
また落語も楽しんでいただき、
町内の親睦を深めるとともに、

渋谷円山町の側面を町内外へも
知っていただきたいと、
『渋谷円山の芸能と落語会』が
開催されました。

入船亭扇遊 師匠

入船亭扇遊 師匠

小糸姐さんと鈴子姐さん

小糸姐さんと鈴子姐さん


落  語:入船亭扇遊
時  間:入船亭遊一

円山演芸:小糸
円山演芸:鈴子


会場となった【料亭・三長】
贅を凝らした内装も素晴らしく、
円山料亭街の華やかさを感じとれます。

【料亭・三長】
渋谷円山町が花街・料亭街として、
まだ華やかであったころ、
その中心に位置していた料亭・三長。
内部の風情溢れるしつらえからは、
職人の技と粋な遊び心を感じます。
渋谷中心地に残る貴重な日本建築を
ぜひご覧ください。


会場:三長前売券・販売協力店前売券・販売協力店

開 催:2012年10月20日(土)
時 間: 開場13:00〜 /開演13:30〜

会 場:料亭・三長大広間


「平成24年度東京都地域の底力再生事業助成」対象事業


花街円山町の芸能・小糸姐さんの三味線と唄

  1. 初春 (2分34秒)
  2. 門松 (2分19秒)
  3. 初出 (1分29秒)
  4. 梅にも春 (3分12秒)
  5. 節分 (3分9秒)
  6. 春風 (1分4秒)
  7. びんのほつれ (2分8秒)
  8. 槍さび (1分28秒)
  9. 夜ざくら (1分55秒)
  10. 桜みよとて (1分35秒)
  11. お伊勢参り (1分29秒)
  12. 潮来出島 (3分19秒)
  13. 六段くづし (2分28秒)
  14. 縁かいな (2分53秒)
  15. 川風 (1分57秒)
  16. 辰巳 (2分9秒)
  17. 萩桔梗 (2分16秒)
  18. 月は田毎 (2分26秒)
  19. 秋の野に出て (1分33秒)
  20. 雪のだるま (2分8秒)
  21. 二上り (3分25秒)
  22. どどいつ (3分18秒)
  23. さのさ (3分26秒)
  24. 木遣り (2分32秒)
  25. 酒と女 (1分52秒)
  26. 深川 (3分11秒)
唄・三味線:小糸
企画・制作:小糸後援会/弟子一同
レコーディング・エンジニア:谷口文人
装丁:大津佳照制作協力:(株)サンクリア、オフィス小俣、今井慎吾、林家きく麿
特別協力:小糸ファンクラブ協賛:渋谷センター街、(株)渋谷西村總本店、(株)ジコー

(敬称略・順不同)収録:2008年6月14日/22日


視聴できます

渋谷の息抜き

道玄坂地蔵を中心に いまも下町情緒を 残すエリア、円山町

円山町の歴史と変遷

ほんの三十年ほど前までは、
円山町には、30軒余の粋な料亭があり、
80人もの芸妓さんがいました。

打ち水された通りを歩けば、
どこからか三味線がきこえる。
そんな大人の色香が漂う花街でした。

円山町の歴史と変遷

ほんの三十年ほど前までは、
円山町には、30軒余の粋な料亭があり、
80人もの芸妓さんがいました。

打ち水された通りを歩けば、
どこからか三味線がきこえる。
そんな大人の色香が漂う花街でした。

円山町の歴史・花街円山
円山は江戸時代から大山街道の宿場町として栄えていました。明治18年(1885)澁谷駅開業。これにより以前と比べて格段に世田谷方面に行く人が増えることになります。

円山が花街となったのは、明治20年(1887)頃、義太夫流しをなりわいにしていた人が、弘法湯の前で宝屋という芸者屋を開業したのが始まりです。

その後、年とともに芸者屋、料理屋が増していったといいます。それにともない、代々木の練兵場の将校達が円山に遊びに来るようになりました。

明治40年(1907)3月6日、玉電が道玄坂上・三軒茶屋間が開通。同年8月渋谷駅まで繋がりました。2年後、澁谷村が澁谷町となります。

大正3年頃の道玄坂

この界隈が円山と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからで、以前は鍋島藩の荒木氏の所有だったため、荒木山と呼ばれていました。

円山町は大正2年(1913)には、 芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸をもった1万5千坪が三業地(料理屋、待合、芸妓屋の許可地)として指定されました。

渋谷花柳界創会20年記念祝賀(1935年と2010年)

大正8年2月には、渋谷三業株式会社を創立して隆盛期に入ります。
大正10年には、さらに芸妓置屋137戸、芸妓402人、待合96軒、大震災直前には芸妓420名を数えるほどになります。

1980年ごろまで三業界のにぎわいは続きました。しかし時代の変遷とともに料亭の数も減っていきます。

往時は黒塀と見越しの松、塀の内側には柿の実が生り、三味線の音がどこかから聞こえ、正月には新年の挨拶に回る芸者衆をみることができる、なにかしっとりと落ち着いた雰囲気の街でした。

昭和27年の渋谷(赤い●が109地点)円山町は左上方面

現在の円山町
この街の姿は随分と変貌し、現在料亭は良支と、おでん割烹ひで、料亭三長、割烹三長、円山町わだつみの5軒だけとなりましたが、いまでも「花柳界」の名残を、お祭りや人との繋がりに感じることもできます。
現役で芸妓さんは5名。小糸姐さんと鈴子姐さんは日本を代表する超一流の芸者さんであり、続く若手3名も懸命に芸を磨いています。
お座敷遊びはお金がかかると思われがちですが、そうでもありません。
詳しくは『藤むら』『おでん割烹ひで』『料亭・三長』へお問い合わせください。

道玄坂上の今昔(1968年と2010年)

円山町=ラブホテル街というイメージがあります。それでこそ「円山町」という地名は、広く知られるようにもなりましたが、それだけではありません。
通称ランブリング通り周辺は、クラブやライブハウスなどで賑わい、厳選の映画を掛ける映画館があります。静かな裏道に入ってみれば、こだわりの焼酎バーや、ギネスバー、カクテルバー、洒落たカフェ、置屋をそのまま店舗にしたお好み焼き店など、渋谷の喧噪から逃れてゆっくりできる場所があります。

円山町は、粋で、おしゃれで、おいしくて、楽しい町。20代後半からの大人がゆっくり楽しめる町。それが今も変わらぬ円山町の特徴といえそうです。(ハマネコ:浜実)

円山町・住宅古地図

円山町はこんな町

道玄坂を上がり、円山町に入ってみてください。
渋谷の喧噪が嘘のように静まりかえっています。
路地には、打ち水をする人や、
昼寝をする猫を見つけられます。
気さくで人情味にあふれていながら、
ベタベタとはしない。
どこか滝田ゆうの
「寺島町奇譚」を想わせる町です。

円山町はこんな町

道玄坂を上がり、円山町に入ってみてください。
渋谷の喧噪が嘘のように静まりかえっています。
路地には、打ち水をする人や、
昼寝をする猫を見つけられます。
気さくで人情味にあふれていながら、
ベタベタとはしない。
どこか滝田ゆうの
「寺島町奇譚」を想わせる町です。


より大きな地図で 円山町・案内フォトマップ を表示

円山町のほぼ中心に道玄坂地蔵があります。
地蔵の前は「料亭・良支」
裏には「料亭・三長」「割烹・三長」があります。

金王八幡宮例大祭や、落書き消し活動、年末特別警戒などの拠点となる公園町会行事の拠点となる円山児童遊園地。

奈る実(ふぐ)、ばん屋(焼鳥)、ひで(おでん)などや、ウラッチェ!(ピザ)、焼酎Bar古典などがあります。カフェLAX、あじくら(ホルモン)などがあります。円山町のメインストリート。
落ちつけるカフェやレストランなどがあります。

かのこ(小料理)、千羽(串焼き)、楽家、鳥はる(やきとり)など神泉駅へ続く細い裏道にも、おいしいお酒が飲めるお店が並んでいます。

スナック「藤むら」へはこの階段を上がって芸妓さんの着物でも歩きやすいようにと段差が小さく作られた、おんな坂(階段)

ここに花街としての中心、渋谷見番がありました(ファミリーマート隣)

円山町界隈が花街として賑わったのはこの弘法湯から。

渋谷マークシティ下まで地下へ潜る京王・井の頭線トンネル。


左:マークシティ方面。右:東急本店方面。
クラブや映画館など賑わうランブリング通り。

円山案内

円山町はこんな町

道玄坂を上がり、円山町に入ってみてください。
渋谷の喧噪が嘘のように静まりかえっています。
路地には、打ち水をする人や、
昼寝をする猫を見つけられます。
気さくで人情味にあふれていながら、
ベタベタとはしない。
どこか滝田ゆうの
「寺島町奇譚」を想わせる町です。

円山町はこんな町

道玄坂を上がり、円山町に入ってみてください。
渋谷の喧噪が嘘のように静まりかえっています。
路地には、打ち水をする人や、
昼寝をする猫を見つけられます。
気さくで人情味にあふれていながら、
ベタベタとはしない。
どこか滝田ゆうの
「寺島町奇譚」を想わせる町です。


より大きな地図で 円山町・案内フォトマップ を表示

円山町のほぼ中心に道玄坂地蔵があります。
地蔵の前は「料亭・良支」
裏には「料亭・三長」「割烹・三長」があります。

金王八幡宮例大祭や、落書き消し活動、年末特別警戒などの拠点となる公園町会行事の拠点となる円山児童遊園地。

奈る実(ふぐ)、ばん屋(焼鳥)、ひで(おでん)などや、ウラッチェ!(ピザ)、焼酎Bar古典などがあります。カフェLAX、あじくら(ホルモン)などがあります。円山町のメインストリート。
落ちつけるカフェやレストランなどがあります。

かのこ(小料理)、千羽(串焼き)、楽家、鳥はる(やきとり)など神泉駅へ続く細い裏道にも、おいしいお酒が飲めるお店が並んでいます。

スナック「藤むら」へはこの階段を上がって芸妓さんの着物でも歩きやすいようにと段差が小さく作られた、おんな坂(階段)

ここに花街としての中心、渋谷見番がありました(ファミリーマート隣)

円山町界隈が花街として賑わったのはこの弘法湯から。

渋谷マークシティ下まで地下へ潜る京王・井の頭線トンネル。


左:マークシティ方面。右:東急本店方面。
クラブや映画館など賑わうランブリング通り。

花街としての円山

円山町の歴史と変遷

ほんの三十年ほど前までは、
円山町には、30軒余の粋な料亭があり、
80人もの芸妓さんがいました。

打ち水された通りを歩けば、
どこからか三味線がきこえる。
そんな大人の色香が漂う花街でした。

円山町の歴史と変遷

ほんの三十年ほど前までは、
円山町には、30軒余の粋な料亭があり、
80人もの芸妓さんがいました。

打ち水された通りを歩けば、
どこからか三味線がきこえる。
そんな大人の色香が漂う花街でした。

円山町の歴史・花街円山
円山は江戸時代から大山街道の宿場町として栄えていました。明治18年(1885)澁谷駅開業。これにより以前と比べて格段に世田谷方面に行く人が増えることになります。

円山が花街となったのは、明治20年(1887)頃、義太夫流しをなりわいにしていた人が、弘法湯の前で宝屋という芸者屋を開業したのが始まりです。

その後、年とともに芸者屋、料理屋が増していったといいます。それにともない、代々木の練兵場の将校達が円山に遊びに来るようになりました。

明治40年(1907)3月6日、玉電が道玄坂上・三軒茶屋間が開通。同年8月渋谷駅まで繋がりました。2年後、澁谷村が澁谷町となります。

大正3年頃の道玄坂

この界隈が円山と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからで、以前は鍋島藩の荒木氏の所有だったため、荒木山と呼ばれていました。

円山町は大正2年(1913)には、 芸妓置屋24戸、芸妓60名、待合茶屋13戸をもった1万5千坪が三業地(料理屋、待合、芸妓屋の許可地)として指定されました。

渋谷花柳界創会20年記念祝賀(1935年と2010年)

大正8年2月には、渋谷三業株式会社を創立して隆盛期に入ります。
大正10年には、さらに芸妓置屋137戸、芸妓402人、待合96軒、大震災直前には芸妓420名を数えるほどになります。

1980年ごろまで三業界のにぎわいは続きました。しかし時代の変遷とともに料亭の数も減っていきます。

往時は黒塀と見越しの松、塀の内側には柿の実が生り、三味線の音がどこかから聞こえ、正月には新年の挨拶に回る芸者衆をみることができる、なにかしっとりと落ち着いた雰囲気の街でした。

昭和27年の渋谷(赤い●が109地点)円山町は左上方面

現在の円山町
この街の姿は随分と変貌し、現在料亭は良支と、おでん割烹ひで、料亭三長、割烹三長、円山町わだつみの5軒だけとなりましたが、いまでも「花柳界」の名残を、お祭りや人との繋がりに感じることもできます。
現役で芸妓さんは5名。小糸姐さんと鈴子姐さんは日本を代表する超一流の芸者さんであり、続く若手3名も懸命に芸を磨いています。
お座敷遊びはお金がかかると思われがちですが、そうでもありません。
詳しくは『藤むら』『おでん割烹ひで』『料亭・三長』へお問い合わせください。

道玄坂上の今昔(1968年と2010年)

円山町=ラブホテル街というイメージがあります。それでこそ「円山町」という地名は、広く知られるようにもなりましたが、それだけではありません。
通称ランブリング通り周辺は、クラブやライブハウスなどで賑わい、厳選の映画を掛ける映画館があります。静かな裏道に入ってみれば、こだわりの焼酎バーや、ギネスバー、カクテルバー、洒落たカフェ、置屋をそのまま店舗にしたお好み焼き店など、渋谷の喧噪から逃れてゆっくりできる場所があります。

円山町は、粋で、おしゃれで、おいしくて、楽しい町。20代後半からの大人がゆっくり楽しめる町。それが今も変わらぬ円山町の特徴といえそうです。(ハマネコ:浜実)

円山町・住宅古地図